滑唐句(すべからく)

1979年の『太陽』誌に連載された澁澤龍彦の「今月の日本」に「すべからく」と題したエッセイがある。
「すべからく」という漢語的表現は、「〜べし」とセットになって、「〜することが必要だ」という意味である。
それを「すべて」の意味に誤用しているケースが目立つ、と澁澤は書いている。
興味深いのは、この誤法を広めたのが唐十郎なのではないかとする推理だ。
実際、唐の文章は「すべからく」誤用が連発している。
僕自身が本を読んでいて、「すべからく」にひっかかったのは、島田荘司の小説だ。
澁澤は「漢文に親しんだことのない世代には、これらの表現が、ちょうど横文字のあたえる効果のように、カッコよく見えるのかもしれない」と皮肉っている。
唐にしろ島田にしろ、軽い読み物ではなく、大上段にふりかぶった文章である。そりゃ「すべからく」とでも使いたくなりそうだ。


なお、このエッセイは『太陽王と月の王』という本に収録されている。
ノイシュヴァンシュタインについてのエッセイで、アポリネールがルドヴィヒ二世をルイ太陽王を意識して「月の王」と呼んだことがタイトルとしてつけられたものだ。
雑誌『太陽』の王という意味ではない。