言葉と戦い

hozan2008-04-06

「とことん石ノ森章太郎」の「サイボーグ009」の回で、特に印象的だった「コスモチャイルド編」を読んだ。秋田文庫の14巻。
インベーダーに追われて地球にやってきた惑星フルルの宇宙人たちの物語。



あらすじ。
惑星フルル人は超能力の持ち主だが、誰かを殺せば自分も死んでしまう、という強い思いにとらわれて、徹底的な無抵抗を貫いている。
インベーダーはゲーム感覚で侵略と殺戮を行っているのに、いっさい手出しをしないのだ。
サイボーグたちは、フルル人を説得にかかる。
「戦う事は、自分を殺すことではない。自分を生かすことなんだ!」
「無抵抗は一見尊い行為に思える。が、しかし、その行為が自分の死のみでなく、他の死をもたらすことになるとしたら、それは重い罪になる」
「無抵抗は卑怯者の行為」
「やつらを殺せ!でなければ結果的にはキミたちもやつらと同じ行為をしていることになるんだぞ」
執拗な説得に若いフルル人たちがこたえて、ついにインベーダーを撃破する。
彼らは惑星フルルをたてなおすべく、強くたくましく生きていくことだろう。めでたしめでたし。
ただ、フランソワーズだけは、戦うことを覚えさせてしまったことに危惧を覚える。
「あの子たちにとって本当に幸福なことだったのかしら」



さて、フルル人は本来、言葉を用いず精神感応(テレパシー)で意思を伝えあうのだが、言葉を使って意思表示をはじめるあたりから、フルル人の無抵抗主義は崩れはじめる。
これはとても象徴的なことだと思うのだ。
昨日の日記でもとりあげた『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』の中にまたぴったりの言葉がある。
これもまたキルゴア・トラウトの本の内容から。
地球人ボイル軍曹は、宇宙の生物たちに語学を教える教師としてひっぱりだこだ。
全宇宙のなかで言葉を使っている星は地球だけなのだ。
精神テレパシーでコミュニケーションをとっている宇宙人たちが、なぜ言葉を使いたがるか、を説明するくだりがふるっている。
「精神テレパシーだと、みんながつねにあらゆることをみんなに伝えているため、すべての情報に対して、一種の全体的な冷淡さが生まれる。だが、コトバは、狭い意味をゆっくりとしか伝えないために、一度に一つのことだけを考えることが可能になる」
つまり、コトバは彼らをはるかに活動的にするのだ。
ナールホド。



そう言えば、と、最近見た爆笑問題の番組で、松岡正剛がインプットとアウトプットに違いが出ることに着目していたな(テレパシーだとたぶん差異はない)、とか、水木しげるの漫画にはよくバベルの塔におもむく人物が象徴的に描かれるな、とか思いだした。