死本論

静岡で起きた地震のニュースで、何よりも気になったのは、女性が、自宅で崩れた本の下敷きになって死んだという報道だった。
何人かのブログで、「ひとごとではない」とする意見が書かれていた。
(たとえば、「巧言令色 吉野仁」8月11日付け日記。http://homepage2.nifty.com/yoshinojin/index.html
8月14日付けの権田萬治の日記でも、紀田順一郎にインタビューした際の雑談で、このニュースが話題になった、と書いてあった。で、その日記はこんな文章でしめくくられていた。
「報道については、もっときちんと本と死因の関係を報道してもらいたい、というのが二人の共通意見だった」
http://cgi29.plala.or.jp/apoe/diary/diary.cgi?action=view&year=2009&month=08&no=1359#1
つまり、頭とか打ちどころが悪くて死んだのか、肺をおしつぶして窒息したのか、本が口の中にとびこんで呼吸困難になったのか、本の重みで動けずに餓死したのか、嫌いな作家の文章が目の前に開いていてショック死したのか、金瓶梅みたいに毒入りの本でも舐めたのか、崩れた本を元に戻すのがいやで舌かんで自殺したのか、死因が特定されなければ、対策もたてられない、ということなのだろう。本で死んだ、というだけでは、まるでステーマンの某長編の一文「被害者は死んだ猫によって殺された」みたいに、妙な憶測だけがふくらむのである。
おそらくは死因は窒息系なんだろう、とは思うが、久米元一の『黄金ミイラの謎』のように、黄金(本)に埋もれて死ねるなら本望と、僕なら思ってしまうな。
寺山修司は肉体労働としての読書を考えたが、読書してしかも生き延びるには体力や筋力が必要なのである。